2005年11月
2005年11月25日
2005年11月24日
成功へのこころの科学 58

『思わぬ「事故」はありえるが、思わぬ「成功」は、ありえない。「成功」は思いつづけなければ、決して「実現」しないものである。』
道路をふつうに歩いていたら、急に車に突っ込まれたっていう、思わぬ事故はあり得るが、思わぬ成功は、絶対にない。
夢と一緒で、いつも「こうしたい」「ああなりたい」と思いつづけていることが成功への前提条件だ。会社をつくりたい、と思ったとして、行動を起こさなければ実現しないが、まず思わなければ、行動もなにもあったものではない。まず成功を目指すには「何年後に、こうしたい」と思うことであり、それを計画して徐々に具現化していくのである。
人間、思いが強ければ、必ず道は開けるものである。
2005年11月23日
成功へのこころの科学 57

『「壊すこと」は「造ること」の一部である。そして「止める」ことは、より良く「始める」ことの手段なのである。』
今、あなたが、会社を辞めたいと考えているならば、行動を起こす前に、その考えをいったん止め、自分はその会社で何をしてきたか、どれだけ成果を上げたかをじっくり考えてみることだ。
仮に、自分は実績があるから、もっと給料がいい会社に移って、そこで再スタートを切りたいというなら、行動を起こしても納得できる。が、実績もないのに、「イヤだから辞める」と、逃げるよう辞めていくのでは、あなたの一生は先が見えて、救いようがなくなってしまう。
当社で中途採用を行なうと、いろいろな職歴を携えてやってくるが、その中に成果がみられず、ただ違った職場で働きたいといって流れてきたような人、ものごとの考え方が出来ていない人は、採用する気にはならない。
やはり、どこかで一度成功しているか、成果をあげていないと、経営者としては、会社の戦力になるとは思えないのだ。
話は変わるが、私は、いつも考えながら行動しているが、ちょっと待てよ、と思ったときには、ピタット止まる。たとえば、ある地点から、東に向かっていこうと歩いていた、途中、間違って西に向かって歩いていたのでは、と「待てよ」と思ったとき、一回止まって考えると、そこから、もとの地点に戻って東に向かってスタートすればイイという答えがでてくる。これを、止まらずに西に向かいながら修正していたら、時間とともにロスがでてくる。
修正する時には必ず一回止まるということである。
山で遭難しそうになったら、なにがなんでも下に降りようとせずに、いったん頂上(頂点)へ向かう方が安全なのと一緒の理屈だ。
そいうわけで、やりだしたことが、間違っていたと思ったら、一回止まって考える。会社の計画でも、なにか間違っている方向に進んでいると思ったら、一回止めて、考えることである。
2005年11月22日
成功へのこころの科学 56

『学歴は学歴、職歴は職歴。問題は、その期間に「いかに価値」ある過ごし方をしてきたかなのだ。』
選挙で当選した矢先、その国会議員の先生がなんと学歴を詐称していたという、学歴詐称事件がマスコミを賑わしたことがあったが、そうした学歴を偽る類いのニュースは少なくない。
また学歴を詐称して、あとから卒業するからといっても、詐称した事実は消えない。
では、学歴って、偽ってまでほしい、そんなに大事なものなのだろうか。
どこまで社会とって有意義なものなのだろうか。
たとえば、東大法学部出身の弁護士だからといっても、実社会では、弁護士として、なにができるの、どんな仕事ができるかで評価されるのである。中には、東大出という肩書きだけで、「この弁護士は、スゴク頭が良いんだなあ」と一目を置く人もいるだろうが、どんな優秀な大学を出たからといっても、社会から優秀な弁護士のお墨付きをもらえるわけではない。
その人の弁護士としての実績、人間としての価値がなければ、却って、期待が大きいだけに「なんだ、あの弁護士は」と、その学歴が仇になってしまう。たとえ、学歴が低くとも、実績があって、かつ周囲の人から人格者と認められれば、必ず「優秀な弁護士」のレッテルが張られるわけである。要するに、実社会では、学歴は従、主は、実績と人間性である。言うまでもなく、人間性とは、ただ人が良いというのではなく、どのようなポリシー、マインドをもっているか、要は、こころの置き方である。
このように考えると、親や周りの人間が学歴主義を主張しようとも、自分が大学へ行くことに必要性を感じなければ行かなければいいのである。
私は自分の娘に、そう言い聞かせている。
だから、勉強や進学のことに関し、いっさい注文をつけず、娘自身で考えるものだと割りきっている。また、反発がありそうだが、躾に関しても無頓着だ。親の役目は、子どもの時から、その都度、きちんとした物事の考え方を教えること、それだけで十分であると思っている。