2005年09月02日
成功へのこころの科学 21
人格は「やってきたこと」で変わる
『「人格」は、つねに「無」である。「環境」に変化し、「教育」に変化し、そして「お金」に変化するものである。』
人は生まれたときには裸一貫だ。
DNA情報とかその人の人生に影響を与えるものがあるかもしれないが、現実的にはなにもなく(性格も知識も物なにももっていない)生まれてくる。それを、家庭なり、学校なり、職場なり、人間関係を含めた社会環境の変化によって、人格が徐々に形成されていくのである。
そのプロセスのなかで、私が問題化したいのは、学校教育である。
なぜなら私は、小学校の時は英語をしゃべれたのに、中学に入ったら、文法からはじめたので英語が嫌いになり、いつのまにか、英会話ができなくたってしまったからだ。
これは象徴的なことで、それはどういうことかと言うと、小学校から大学まで、学校は就職に有利になる学歴をつくためのもの、ワンランクでもイイ学校へ、そして、少しでも大きくて安定している会社へと、入ることが第一で、社会人として役立つためという考えは脇に置かれている感じなのだ。
学校教育とは、実社会に出ていく準備期間なのに、試験本位に、就職本位になっている。
私が、子供のころから、アルバイト生活をしていた実務者であったから、少し偏見もあるかもしれないが、そのあたりが、社会人としての人間形成にも影響を与えているのではないかと思っている。
教師にしても、大学を出たら、一般社会人を素通りして、教育者になるわけで、それでは、子供たちに社会人としての、こころのあり方など人間教育を実体験から教えることはできないはず。
どんなに大学進学率が高くなっても、大学に進学する動機が、将来どうやって社会に役立とうかを考えるのではなく、ただ就職に有利な大学を択びたがる若者ばっかりでは、お先真っ暗である。
もちろんすべてではないが、希望していた企業に就職しても、社会人一年生を10年続けるようなダメ社員が目立ってきている。
人生で一番大事な時期は働いている時で、そして、その時期が一番長いのがわかりきっているのに、どうしてそうなるのか。近年、社会現象として、生涯教育とか、放送大学とかで、社会人になって実務を経験してから学べる受け皿が増えてきたが、それならそうと、はじめから教育の場で、社会に役立つ教育を重視し、そのことにもっと力を入れたらと良いと思う。
私は高学歴ではないが、社会人として恥ずかしくないし、自分のやってきたことに対して、人に自慢できる。
娘は現在、高校三年生だが、中学三年生のときから、当社で経理のアルバイトをさせているが、お金のためではなく、実務経験をしてもらうために、そうさせている。実際、彼女はアルバイト料を貯めて、今、250万円の不動産投資をしたり、高校生でありながら、半分実務者として経験を踏んでいる。
彼女の将来はというと、司法試験を受けて弁護士になりたいという希望を持っているので、父親としては、その志望をかなえられるように、その環境だけはつくってあげるつもりでいる。私の考えは、弁護士にならなくても、大学に行かなくてもイイし、また私の会社をついでもらわなくてもイイと思っている。
挫折したからって、彼女には彼女の人生があるのだから、そう思って娘に対応している。
まあ、実務者の目からは、学生時代はできるだけアルバイトをやって、社会慣れしていた方が、成功への近道だ、とでもいっておこう。
『「人格」は、つねに「無」である。「環境」に変化し、「教育」に変化し、そして「お金」に変化するものである。』
人は生まれたときには裸一貫だ。
DNA情報とかその人の人生に影響を与えるものがあるかもしれないが、現実的にはなにもなく(性格も知識も物なにももっていない)生まれてくる。それを、家庭なり、学校なり、職場なり、人間関係を含めた社会環境の変化によって、人格が徐々に形成されていくのである。
そのプロセスのなかで、私が問題化したいのは、学校教育である。
なぜなら私は、小学校の時は英語をしゃべれたのに、中学に入ったら、文法からはじめたので英語が嫌いになり、いつのまにか、英会話ができなくたってしまったからだ。
これは象徴的なことで、それはどういうことかと言うと、小学校から大学まで、学校は就職に有利になる学歴をつくためのもの、ワンランクでもイイ学校へ、そして、少しでも大きくて安定している会社へと、入ることが第一で、社会人として役立つためという考えは脇に置かれている感じなのだ。
学校教育とは、実社会に出ていく準備期間なのに、試験本位に、就職本位になっている。
私が、子供のころから、アルバイト生活をしていた実務者であったから、少し偏見もあるかもしれないが、そのあたりが、社会人としての人間形成にも影響を与えているのではないかと思っている。
教師にしても、大学を出たら、一般社会人を素通りして、教育者になるわけで、それでは、子供たちに社会人としての、こころのあり方など人間教育を実体験から教えることはできないはず。
どんなに大学進学率が高くなっても、大学に進学する動機が、将来どうやって社会に役立とうかを考えるのではなく、ただ就職に有利な大学を択びたがる若者ばっかりでは、お先真っ暗である。
もちろんすべてではないが、希望していた企業に就職しても、社会人一年生を10年続けるようなダメ社員が目立ってきている。
人生で一番大事な時期は働いている時で、そして、その時期が一番長いのがわかりきっているのに、どうしてそうなるのか。近年、社会現象として、生涯教育とか、放送大学とかで、社会人になって実務を経験してから学べる受け皿が増えてきたが、それならそうと、はじめから教育の場で、社会に役立つ教育を重視し、そのことにもっと力を入れたらと良いと思う。
私は高学歴ではないが、社会人として恥ずかしくないし、自分のやってきたことに対して、人に自慢できる。
娘は現在、高校三年生だが、中学三年生のときから、当社で経理のアルバイトをさせているが、お金のためではなく、実務経験をしてもらうために、そうさせている。実際、彼女はアルバイト料を貯めて、今、250万円の不動産投資をしたり、高校生でありながら、半分実務者として経験を踏んでいる。
彼女の将来はというと、司法試験を受けて弁護士になりたいという希望を持っているので、父親としては、その志望をかなえられるように、その環境だけはつくってあげるつもりでいる。私の考えは、弁護士にならなくても、大学に行かなくてもイイし、また私の会社をついでもらわなくてもイイと思っている。
挫折したからって、彼女には彼女の人生があるのだから、そう思って娘に対応している。
まあ、実務者の目からは、学生時代はできるだけアルバイトをやって、社会慣れしていた方が、成功への近道だ、とでもいっておこう。